転落人生の始まり!?でも当時は気がつかなかった ⑳

職場の事(~2016)

成果が少しずつ表れ始めたこの頃、帰国まで残り1ヶ月・・・。

「もっと成果を上げなければ・・・」と焦っていた時期でもあります。

最初に手掛けた「一番調子の悪い機械」は、工場の中で一番順調に稼働するようになり、初期メンバーの教え子たちも「大事なポイント」を理解して作業してくれるため品質トラブルも減少。

となると次の課題を自分に与えなければなりません。

なるべく成果を出して帰りたいですからね。


スポンサーリンク

残り1ヶ月で出来る効果的な事は何か?

残りの1ヶ月で更に効果を上げるにはどうすればいいのか・・・。私が帰った後でも残せるものは何か・・・。

アパートに帰りイングリンビールを飲みつつ、一息つきながらよく考えたものです。

以下の3つが今残された時間で出来る、また今後に繋がる「一番効果的な事」だろうと考え、その準備に取り掛かりました。

1.米人技術者に新人指導のカリキュラムと指導方法を伝える!

新人教育のためのカリキュラムはアメリカ出発前に日本で作ってきたので問題無いのですが、それぞれの具体的な指導方法については、私に代わる「米人の教育担当者」に直接教え込む必要がありました。

そこで米人マネージャーと相談し、教育担当者を決めることになる。

そして数日後、教育担当に選ばれたのは、仲間から信頼されているリーダー格の一人「ニール」に決まった。

私としても人望があり、呑み込みが早い彼に教えることは容易なことでした。

もちろん通訳さんを通してですけどね♪

2.教育の傍ら一番調子の悪い機械を自ら整備する!

米人教育担当者に指導方法を伝える事は3日(1日2時間ほど)で終わり、そこから私はトラブルの多い機械の整備に取り掛かります。

すでに残り3週間位だったので、焦る私は米人抜きで自ら整備をしていました。

そして、その報告は毎日昼一の幹部ミーティングで「調子の悪い原因」と「解決のためにどんなことをしたのか?」を話します。

トラブル減には、こういうことをしなければいけない!ということを伝えるためでした。

3.製造部門にも品質確認のための設備を導入!

US工場の品質部門は3次工程作業が行われる約300メートル離れた同じ敷地内の別棟にあり、私のいる製造部(2次工程)で出来上がった製品に問題があると連絡が来るようになっています。

しかしそれでは、品質部門から連絡が入った時点で膨大な不良品を出してしまう可能性があるので、素早く異常が発見できるよう製造部でも定期的に品質確認が出来る設備が必要だと考えました。

品質の確認方法と実施ルールについては、とりあえず私の会社と同じようにしました。後からUS工場に合った独自のものに改善していかれるでしょう。

この設備導入計画はUS工場の副社長の強いバックアップを頂き工事が始まります。残念ながら私が完成を見ることは叶いませんでしたが、副社長とは帰国の飛行機に乗る間際までメールでやりとりさせて頂くなど本当に熱意のある方でした。


スポンサーリンク

残り2週間になり帰り支度も出てくる!

この頃になると、冷蔵庫の食品や洗濯&食器洗剤、トイレットペーパーなど「日本に持ち帰らない生活用品」を駐在員の方に配りました。

そして食器と車はUS工場に返却。アパートの解約手続き&航空チケットは通訳の女性にお願いしました。

徐々に身軽になった私は土産物(自分用も含め)を探しに、ダウンタウンへ買い物に頻繁に行くようになります。また昼食で利用していたお店のお気に入りメニューの食べ納めもしたり、この時が一番楽しかったと思います!

よく行ってた&たまに行ってたお店♪

【スーパー】

  • ウォルマート
  • トレーダージョーズ
  • ターゲット

【焼肉屋】

  • ロングホーン
  • ヒーローズ

【ショッピングモール】

  • オーガスタモール
  • ノースチャールストン

【CD&DVD】

  • ベストバイ

【ジャンクフード店】

  • ハーディーズ
  • サブウェイ

【居酒屋・バー】

  • 田舎
  • さくら
  • スポーツバー(名前忘れた)

この頃、ある日本人駐在員の方に言われたこと!

もう帰る日が迫ってきたある日、駐在員のDさんとこんな会話をしました。

「〇〇さん(私のこと)、Y会社と連絡を取っていますか?」と。

私が困った顔をしていたのでしょう…すると全く連絡していないことを察知されたのか、彼は「途絶えてるんですか?」と一言・・・。

私は「そうなんですよ~聞くこともないし話すこともないですからね~。どうしても話題は御社US工場の事になるので秘密厳守のこともあり、やりとりは御社の上層部の方が中心になりますからね~」と答えた。

すると、「そうですよね!」とDさんは答え納得したようだった。

しかし考えてみれば、この時点で約3ヶ月間、私は自分の会社に一度も連絡していない・・・。連絡したとしても「問題のある管理職」とは話をしたくない。

M工場長とならば良いが、特別伝えることも今は無い。まあ、帰国後はM工場長と今回の依頼先に報告に回らなければならないのだから、話はそのときで良いのだ。

しかしまた、あのくだらない職場に戻るのか・・・嫌だな・・・。

そう思うと何だかこの地を去ることに「少し寂しく、帰りたくない」という思いが芽生えた瞬間でありました。

さらばUS工場!そして帰国!

帰国の数日前に通訳の方が私にこんなことをいいます。

米マネージャーが私に記念品を贈りたいが、「私は何が欲しいかな?」と言っているそうです。

「時計は?」とか、「何とかのセットは?」とか、その場で色々聞かれ、何が良いかアレコレ思案する通訳さん。

そこで私は、「それなら、ぜひ欲しいものがある!」と欲しいものを伝えます。すると通訳さんは「そんなものでいいの?」と困惑気味・・・。でも私はそれが一番欲しいものだと伝えると「そうね、一番欲しいものなら、それがいいわね」「でも欲がないわね~」と言ってマネージャーのもとに帰っていきました。それは「US工場のみんなと一緒に写った写真」でした。

巨大な工場のほぼ全員と写真を撮るということは中々難しいことだと撮影を通して感じます。集合写真はセクション毎に撮影するので、各業務が私のために中断するのが「悪いな~」って。

でも皆さん!沢山の笑顔で応えて下さいました!本当にありがとうございました!

お陰様で高価な物を頂くよりも、よっぽど思い出深い宝物となりました。

そして沢山の思い出とお土産を詰め込み、帰国の途に就きます。

続きは、転落人生の始まり!?でも当時は気がつかなかった ㉑で書いていきます。

力不足な私でも最低限の事が出来たのは、US工場の皆さんのお力添えがあったからです!

これは間違いないことで、こんなにも「人に救われた!」という強い感覚は初めての事でした。

日本にいた頃の「曇り濁った自分自身」はアメリカで、こんなにも晴れやかで透き通るものなのか?と思ってしまうくらいに、心の中は劇的に変貌を遂げていました。

しかし、その「澄み渡った自分」は帰国後、Y会社に戻って1週間で曇り濁っていくのです。


スポンサーリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました