前回は社長から「アメリカで米人の指導をして欲しい」と頼まれたこと。それに対し、私は直ぐに決断することが出来ず、一旦持ち帰り悩んだことを書きました。
何故なら、この頃の私はY会社に転職して8年が経ち、その間、問題の管理職たちとの「考え方の違いによる軋轢」から心身が疲弊し、仕事に対する情熱も完全に失っていたからです。
若い頃に一生懸命苦労して習得した大切な知識と技術も、まるでパズルのピースが一つずつ消えていくかのように、情熱が消えていくのと同時に忘れていくのです。
こんな今の私に、この大役が務まるとは到底思えません。
心の中では絶対に断るつもりでいました。
とりあえずM工場長と依頼先に向かう!
当時、M工場長は70代半ばで当工場のトップ。月の半分は本社勤務でここにはいない。私は過去に「問題の管理職4名」の行いを改善指導するよう直談判した相手です。その時M工場長からは「彼らはどうにもならない」と謝罪をされてしまったのだが…。
ある日、M工場長と私は2人で遠方にある取引先に日帰り出張で向かっています。その取引先から3ヶ月間、アメリカ工場で「米人作業員の育成」をしてほしいとの依頼が来たので、その詳しい話を聞くためです。
行きの車中で私はM工場長に「無理だと思えば依頼を断っても良いのか?」と尋ねました。
すると「頼まれているのは君だから、君が決めればいい」「無理ならそれでもいい」と言われます。それを聞いて、少し気が楽になりました。
自社としても「私のいない3ヶ月間」は大変だとのこと。
まあ、まずは先方の話を全て聞いてから最後に「丁重にお断り」しよう…と、おおよその方向性を2人ですり合わせながら取引先に向かいました。
先方との話し合い…そして現地視察の末、アメリカ行きが決定!
3時間にも及ぶ先方との話し合いを終えた私たちは、片道4時間の帰路につきました。
守秘義務の観点から詳しくは書けませんが、さすが大手企業!「米人作業員の育成」の計画は幅広く綿密に組まれています。
そこで私は自分自身に問います。
これ、出来そうか?
おそらく想定の計画内容は問題ない…しかし想定外の事が起きたら対応できるだろうか?
そして何より私は「英語が出来ない!」。しかしこれは先方が通訳を付けるから大丈夫だと言っている…。
そして実際に働く米人作業員の方々を写真で見て、正直「怖い」と思いました。日本人とは違う「大きな体」「複数の刺青」。アクション映画とか格闘技で映る、あんな感じです!
私は過去の仕事で何度かアジア方面には渡航歴がありました。そこでは外国といえど同じアジア人、似たような風貌で直ぐに馴染めるのですが、私にとって欧米人はまさしく「ザ、外人」なのです。
40代の私は、そんなことも「引き受けたくない理由」の一因となっていました。
それから数週間、態度を鈍らせる私に先方から連絡があり、一度アメリカ工場を視察して、それから決断して欲しいと切望されます。
視察に行けば断れなくなる…それは分かっている!断るなら今しかない!でもこんな私に、ここまで頼み込んでくるなんて…。
これまで断る方向で動いていた私ですが、さすがに申し訳なくなり断り切れなくなってしまいました。
1週間のアメリカ工場の視察を終え帰国した空港の喫煙コーナーで、覚悟を決めた私は空港の同行案内して頂いた取引先のT部長に「私のできる事だけですが、精一杯させていただきます」と引き受ける意思を伝えました。
50代のT部長は40代前半の課長代理の私に「謝意を込めた感謝の言葉」をおっしゃいます。
その瞬間、私の内側から熱いものがこみ上げました!それと同時に身が引き締まります。
こうなったら出発までの1ヶ月の間で、かつての自分を取り戻そう!忘れてしまった知識を含め、今自分が分からないことを徹底的に調べ上げ、頭に入れて最高の状態でアメリカ工場に乗り込んでやろう!
久しぶりに仕事に対して熱くなる自分がそこにいました。
そして直ぐに自社のM工場長に「今回の依頼を了承した」とTELで報告!後はM工場長が社長や問題の管理職4名にも報告するだろう。
空港でT部長と別れ、私は飛行機を乗り継ぎ帰宅する。後は明日、会社で詳しい報告をして少しずつ準備に取り掛かろう。
そして翌日、1週間ぶりに会社に出社するが、そこから出発までの1ヶ月間、私の直属の上司S部長は私に対して、おどろきの言動を繰り返すようになります!
続きは、転落人生の始まり!?でも当時は気がつかなかった ⑰で書いていきます。
この記事は過去の自分がどのように働いてきたのかを、私自身が心の整理をするために綴っています。なので読者の方々に向けて「だから…こうです!!」という結論的な事はお伝えできませんのでご了承ください。
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