前回は酒の入った席とは言うものの、S部長に「思いっきりボロカス」に罵った事を書きました。
一瞬良い気分になりましたが、直ぐに気分が悪くなり後悔が押し寄せてきます。来週からどうやって会社にいこうか…。土日の休日も生きた心地がしません。
そしてついに月曜…入社の時以上の緊張感を抱えて私は会社に向かうことになります。
月曜の朝、会社にて…
先ずは「S部長」にとにかく謝罪しなければならない!私の発言した内容はともかく、「言い過ぎた事」「理性を保てなかった事」は謝罪すべきだろう…。
そう考えた私は、会社に着いて真っ先にS部長を探します。しかし、いつもは居る現場の休憩室には何故かいなかった。そこでミーティングルームを覗くと管理職4名全員が居た。「S部長」が他の管理職たちに何かを話している。
この後、「S部長」に精一杯の謝罪はするのだが、正直よく覚えていない…。記憶が飛んでいるといった方が正しい。管理職4名を前に謝罪したのか、S部長が一人になるところを待ち構えて謝罪したのか、今も分からないままだ。
今となれば随分過去の話だが、これを書いていると今も胸が苦しくなる。そしてこれが、「私が転落していく根源となった」ことは間違いない。
その後の私…
S部長に謝罪をしたその日から私は大人しくなった。管理職4名にとって「私の変化」は喜ぶものであったが、社員らにとっては喜べるものではなかったと思います。
私に助けを求める者、改善に期待していた者が、私の変化に気付き出します。彼らの話を聞くことは出来ますが、そこから行動を起こすことが出来なくなったからです。
以前なら改善を進めようとする私の動きは彼らに伝わっていた。しかし今の私にはかつての動きは見られないし伝わってこない。そして職場全体に諦めの空気が立ち込め、数か月でそれが当たり前となった。もう私に期待の言葉をかけてくれる人はいない。
私は業務を淡々とこなすだけの毎日を過ごすことになり、それから5年後「課長代理」となっていました。
5年間ただ大人しくしていただけ…5年もの間、進歩が無い無駄な時間を過ごしてきた…。私は心の中で「上に上がるとはこんなものか…」と嘆かわしい気持ちで一杯でした。
部下の教育だけはやろうとした…
役職が上がる分、私の仕事は複雑になり増えていきます。しかし5年前の「改善活動」から比べると気苦労のレベルは楽なものでした。
また、あのS部長との一件から「大人しくなった」私は5年前の当時、社員全員に謝り「もう何もできない」事を告げていた。
しかし私は恐れていた…。このまま何もしないで時が過ぎれば、いずれ彼らと同じ「クズ管理職」と陰で言われ、力を貸してほしい時に「協力してもらえなくなるのではないか」ということに。
そこで主任である当時の私が出来ることは「若手の教育係」なら出来ると考えた。それは私がマシンセッティングと保全作業をする際に「センスのある将来有望な若手」を1~2名付けて、説明をしながら一緒に作業を行うものです。
かつて、S室長から若手の指導を依頼されていたことから、私の一存で実行することになります。その様子を見た「S部長以外の管理職」らが満足そうな顔をしています。
S部長とは、あれからお互いに避けていましたが、他の管理職の様子から問題は無いだろうと若手の教育を進めていく。
しかしある日、何故か「S部長」からお叱りの言葉が…。
続きは、転落人生の始まり!?でも当時は気がつかなかった ⑭で書いていきます。
この記事は過去の自分がどのように働いてきたのかを、私自身が心の整理をするために綴っています。なので読者の方々に向けて「だから…こうです!!」という結論的な事はお伝えできませんのでご了承ください。
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