前回は、私が「S部長に謝罪」をし、以降「大人しくならざるを得なかった」ことを書きました。
しかし「言い過ぎた事」には謝罪しましたが、内容に関しては自分が間違っていたとは思えません。大人しくなる必要がなかったのかもしれませんが、正直もう疲れていたのと、諦めの気持ちがそうさせました。
でもこのまま何もしないで年を重ねれば彼らと同じ、「クズ管理職」と周りから見なされることになるのではないか…。やはり今の自分がやれることをやろう!と「若手の教育」に力を注ぐことになります。
しかし間もなく何故か、S部長から「お叱り」を受けることになります。
今回は、S部長がお叱りになられる理由について書いていきます。
部下から理解されない時のS部長の様子!
ここでまず、S部長が日頃「部下に何かを伝える時に必ず起こるS部長の様子」を書かなければなりません。これは必ず起こることで偶にではありません。毎回です。
それはS部長の発言が「上手く伝わらない時」「納得が得られない時」「理解されない時」に起こります。
初めは部下に対して「上から目線」で話を切り出します。そして本題の途中で話が脱線しだします。最後に無理やり本線に戻ればよい方で、酷い時は脱線したまま当初の着地点とはかけ離れたところに着地!。この間、部下は黙って聞いている。
部下はS部長の話を最後まで聞いてから「いくつもの質問」をします。結局何が言いたいのか伝わっていないので当然そうなります。
しかしそれをS部長は「理解する能力の低い低能な部下」と位置付けし、ここからS部長の態度が急変するのです。
対面で話をしている目の前のS部長は「貧乏ゆすりでイライラをアピール」。それに耐えながら部下は質問するのだが「首をかしげる」「舌打ちをする」そしていつまで経っても「言葉を発しない」。
耐えきれなくなった部下は諦めてその場を離れようとした時に、「俺の言ったこと、分からなかったか!」「俺がおかしいのかな!」と呼び止めます。そこで立ち止まった部下に「ここに座れ!」と目の前に座らされ、ここから長時間にかけて、その部下の日頃の仕事に取り組む姿勢を非難し「だからお前は俺の言っている事がすぐ理解できないんだ!」と結論付けるのがお決まりのパターンです。
若手の教育を行う私をS部長がお叱りになる理由!
私の思いとすれば、部下にいつまで経っても下っ端の仕事ばかりさせていては「進歩や達成感」を通じた「やりがいを与えてやれない」という事と、将来重要な仕事を任せられる人材を育てるという意味で「若手の教育」を始めました。
また私の仕事も増えて手が回らなくなったのも理由の一つです。
現場で若手を指導する私の姿を「S部長以外の管理職」らが私の元へ来て「良いことだ!」と賛成しています。
しかし直属の上司「S部長」は違いました…。ある日「S部長」から休憩室に呼び出され、こんな事を言われます。
誰にでも教えるんじゃない!と…。
S部長が考える「部下に仕事を教えてはいけない」理由
それは理解出来ないものでしたので、淡々と箇条書きします。
理由1. 難しい仕事をさせて問題が起きたら誰が責任をとるのか?お前(私)はとれないだろう。ということは俺が責任をとらなければならなくなる。
理由2. もしお前の教えている仕事を、部下が出来るようになったら俺やお前の仕事が無くなってしまうだろう。そうなると困るのは俺らだ!よく考えろ!。
あまりにも価値観が違い過ぎて驚くと同時に、もしかするとバカなのはS部長ではなく、全て私が悪かったのか…?と疑心暗鬼になったのを今でも覚えています。
もう何もできない…
ここまでくると私の心はだんだん弱っていきます。何を信じていけばいいのか分からない…、何が正しいことなのか…。
そして私は淡々と仕事をこなし、定時に帰宅するようになりました。あれだけ情熱を持て、大好きだった仕事に対する心の炎が「完全に消えた」のを感じました。
そして5年の月日が流れる…
それから5年が経ち、私は特例扱いで飛び級し「課長代理」となっていました。これはこの記事には殆ど出てこない「M工場長」による計らいだったらしい。そして新しく役職を持った後輩も数名出てくる。
しかし「問題の管理職4名」は全員部長級で止まっている。職場は相変わらず彼らの思い通りとなり腐っている。だが不思議と退職者はこの5年間出ていない。
そんな時、取引先から「米人作業員の育成」を当社のエンジニアにお願いしたい!という話が出てきました。この時点では自分がアメリカに行くことになるとは思いもしなかった。
続きは、転落人生の始まり!?でも当時は気がつかなかった ⑮で書いていきます。
この記事は過去の自分がどのように働いてきたのかを、私自身が心の整理をするために綴っています。なので読者の方々に向けて「だから…こうです!!」という結論的な事はお伝えできませんのでご了承ください。
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