転落人生の始まり!?でも当時は気がつかなかった ⑮

職場の事(~2016)

前回はS部長から「部下に仕事を教えるな!」と言われたこと。また、その時の私の心情を書きました。

全てを諦め、やる気を失い、ただ淡々と仕事をこなし、定時で帰る日々。そんな毎日を繰り返し5年が経ちました。

何も進歩のない5年…。5年もあれば色んな事が学べたはずなのに…。私自身の若さのある、「かけがえのない時間」が無駄になってしまった…。

ある日、私は組合の労使交渉のため本社会議室にいました。交渉は無事に妥結し会議室を後にしようとした時、何故か社長に呼び止められ、この後「社長室に来るように」と言われました。

社長とは殆ど顔を合わせない間柄なので、「何を言われるんだろう…」と不安で仕方ありません。そして社長の待つ一番奥の部屋に、緊張しながら一人で向かうことになります。

そこで待っていたことは…。


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不安を抱え社長室に向かう私…

会議室から社長室に向かう2~3分の間に、私は何故呼ばれたのか考えました。思い浮かぶものとすれば、以前とは違う「やる気の無い働きぶり」しかない。

そうはいっても、私は第二工場の業務の殆ど全般を抱えて毎日精一杯こなしている。そんな私の「心の内」を他人が分かるものなのか?。

そんな事を考えながら、足取り重く社長室に向かいました。

社長から言われた事は!

ドアノック後すぐに応答があり入室しました。そこにいたのは社長ただ一人。そして私をソファーに座らせコーヒーを2つオーダーします。そしてコーヒーが到着する前に、早速こう話し出されました。「君に頼みがあるんだ」と…。

社長から直々に頼まれること…何なんだろう…正直コワイ。私は「私の出来る事ならやりますが、出来ないこともあります」と前置きしてから「どんな内容でしょう?」と質問しました。

そこで聞いた内容は、取引先から社長に相談があり、アメリカ工場の「米人作業員の育成」を当社のエンジニアにお願いしたい!という話が出てきて、私にそれをしてほしいとの事。

それを聞いて直ぐに「何故、私なのか?」と聞くと社長は、「当工場のM工場長が問題の管理職4名と話し合いをした結果、君しかいないという結論になった」との事。

私は「この話を断ることは出来ないのですか?」と訪ねたのですが、主となる取引先からの要望ということから、どうも出来ない様子です。

とりあえず、この場で正式に決められる訳でもなく「先方から詳しい内容を聞かないと」という事と「それを踏まえてM工場長と相談させてほしい」との事で一旦持ち帰ることにしました。

そして社長室を後にする。「やる気の無い働きぶり」を見透かされ注意を受けるのか?と思っていたが、全然違った…。ホッとしたと同時に新たな不安が沸き上がります。

これからどうなるのか?。


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この時の私の思いは…

この話は私に「活躍の場を与えられている」事や、社長が私に「人生について熱弁される」様子から決して悪い話ではない、と感じてはいたが、当時の私には2つの不安がありました。

1つはくだらない理由なのですが、体の大きい米人とトラブルになったら怖いな~というものです。洋画で見る口論のシーンとか暴力的なシーン…。う~ん勝ち目は無い!また日本と米国の歴史的な背景も不安材料でした。

もう1つは私自身の事なのですが、この5年間という長い間、向上心を無くし惰性で業務をこなしていたため、忘れてしまった知識が多かった事です。他社の従業員…まして大手企業の米人に教えるということは並大抵の知識では、こなすことが出来るとは思えなかったのです。果たして今の自分にそれが出来るのか?。

もし本当にアメリカに行くことになるなら、相当の知識を取り戻すことが必要不可欠です。

続きは、転落人生の始まり!?でも当時は気がつかなかった ⑯で書いていきます。

この記事は過去の自分がどのように働いてきたのかを、私自身が心の整理をするために綴っています。なので読者の方々に向けて「だから…こうです!!」という結論的な事はお伝えできませんのでご了承ください。


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