前回は部下の私が、上司である「問題の管理職4名」に意識改革を促すために実行したこと(大したことはしていませんが)。その後、彼らから「戒め」を受けた事を書きました。
一体なぜそんなことをしたのか?。
そんな困難な道を選ばなくても、彼らに合わせて生きていく道もあったでしょう、皆はそうしているのに…。
でも私は「後から後悔したくなかった」のです。
元々問題ありの管理職です。それから長期間、執拗なイジメ、パワハラ的言動が私に向けられました。
天職だと感じ夢中で覚えてきたこの仕事ですが…、徐々に仕事に対する情熱が下がっていきます。
今回は「問題の管理職たち」との闘いが始まってから1年後の状況についてお話しします。
1.管理職たちと敵対しながらの日々…
この一件から現場の雰囲気が急激に変わりました。
「問題の管理職たち」が今まで散々雑に扱ってきた若い社員に対して「過剰に親切な態度」をとるようになったのです。
若い男性社員に対して甘えた声で「~ちゃん、こんなタバコ吸ってるの~?」とか、「ボディタッチをして仲良し感を演出する」ような態度が、いきなり見受けられるようになったのです。この変化に若い社員は困惑し、それを見ている私は鳥肌が立ちました。
それとは裏腹に私に対しては、挨拶や質問などはあからさまに全て無視されます。でも私を戒める時だけは「問題の管理職」が一人ではなく複数で現れ、その時だけ無視が解除され暴言を吐かれます。悔しくて悲しくて腹が立つ感情を押し殺すとても辛い日々でした。
そんな日が毎日続くと、こういう思考が浮かんできます。「私がしたことはそんなに悪い事なのか?」。
でも自分が選んだのだから信じて進むしかない!。
2.そんな中、褒められたこと
私がこのY会社で唯一当初から尊敬しているHさん(当時60代初めで元々は本社管理職)がいます。Hさんとは別々の現場(Hさんは第一工場、私は第二工場)なのですが、そのHさんが、ある日、私にこんなことを言ってきました。
「~君(私)!君が来てから1ヶ月しか経っていないが、第二工場が今までとは別物のように動いている。これはいったい、何をしたのか?」。
と真剣な顔つきで訪ねてきました。
私は確かに入社当初はトラブルで停止している機械をよく直していましたが、第二工場の以前の状況を知らないので特に実感はありませんでした。
なので私は、「別に特別なことはしていません…。異常検知器の調整と修理作業を正確にしただけなんですが…」としか言えません。
それを聞いたHさんは、どうも納得がいかないようで続けてこう言います。
「その作業は親方のS課長がいつもやっていたんだ…。そればかりでない、歴代の技術担当が出来なかった事を…S課長のやり方は甘いという事なのか?…」。
Hさんは心底驚き、以前の第二工場の状況を話してくれました。それは散々たるもので私も驚きました。「機械の3割がトラブル停止」「出来上がる製品の不良率が多い」という日常。そして第二工場はS課長の担当だったことを。
私がしたことは前職場で学んだことをしただけです。またY会社にも技術のS課長がいます。それなのに何故か私が調整するようになってから第二工場の稼働率と不良率は一気に改善していきます。
Hさんは3年後に定年退職となりましたが、最後の会話も「あの時は一体何をしたんだ?もういいだろ、教えてくれ!」というものでした。
尊敬するHさんのこの言葉は私の人生の中で「一番誇りに思う出来事」となりました。
辛いことがあるたび、これを思い出し自らを勇気付けます。
続きは、転落人生の始まり!?でも当時は気がつかなかった ⑩で書いていきます。
この記事は過去の自分がどのように働いてきたのかを、私自身が心の整理をするために綴っています。なので読者の方々に向けて「だから…こうです!!」という結論的な事はお伝えできませんのでご了承ください。
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